函館と下風呂は、新島襄と未成線つながり
大間から国道279号線で20キロ、下北交通のバスなら半時間で、下風呂温泉。井上靖がここのとある旅館に籠もり『海峡』を書き上げた、という話は、温泉郷のすぐ前の「海峡いさりび公園」の文学碑を見るまで知らなかったが、この公園には、新島襄の碑も立っている。
幕末に函館から密出国しアメリカに渡った新島襄は、品川から快風丸に乗って函館に来る前、最後に寄港したのが下風呂だった。新島襄もしっかりと、この温泉で湯浴みしている。その事実を伝えるため、「新島襄寄港記念碑」が建てられた。
今は静かな温泉場。派手な観光施設はないけれど、よそではまずお目にかかれないものがここにある。鉄道アーチ橋メモリアルロードだ。
戦時中に計画され、かなりのところまで建設が進められたが、物資不足で工事が中断。未成線に終わった大間線の遺構であるアーチ橋を、遊歩道として整備したもので、中ほどに足湯も設けられている。
この事業、鉄道ファンには「やめてくれ」の声も大きかったというが、何もなされぬまま朽ちていくよりは、いいかもしれない。
大間鉄道の計画は、現むつ市の下北駅から大間まで。一方、海をはさんだ道南でも、函館(正確には五稜郭駅)と戸井を結ぶ戸井線の建設が進められた。
大間と戸井は、津軽海峡でもいちばん距離の短い場所。青森・函館間が100キロちょっとあるのに対し、こちらは20キロほどである。
人とモノ、とりわけ当時の重要なエネルギー源だった石炭を運んでいた青函連絡船は、空襲の危険にさらされていた(実際に空襲を受けている)。
だからこの海峡の最短距離まで鉄道を延ばし航路でつなげば、その危険が少しでも低減できるというわけだった。
しかし戸井線も、大間線と同様、ほぼ完成に近づきながら、物資不足で未成線に終わった。
そして戸井側にも、その遺構であるアーチ橋が現存する。
こちらは、観光施設化する計画はなさそうだが、老朽化のため崩壊が進み、近年もその一部が解体されている。
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